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●51⇒100(50話)


2000年頃に作った「話のタネ」50話を一挙掲載!はブライダルに使えます。

No タイトル 本        文 ジャンル 婚礼用
51 食の戦い 「美食を好まず」とみずから記した宮本武蔵は粗食派。
一方の佐々木小次郎は小倉藩主細川公という大スポンサーのもとで
城内に道場をかまえ満ち足りた毎日をおくっていた。
野人武蔵は常食である玄米の干し飯を食べ、
千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とした。
それに対し、小次郎は白米をたらふく食べて巌流島の決闘にのぞんだのである。
この食事内容を見ただけで、おのずと勝敗が見えてきます。
武蔵が約束の時刻をとうに過ぎて現れようが、
小次郎の物干し竿より、武蔵が手にした櫂の木刀がいくぶん長かろうが、
すでに「小次郎、敗れたり」であります。
歴史
52 あの頃、私は・・・ 「1週間前、あなたはどこで何をしていましたか」とたずねられても、
「え~と?」と記憶をよみがえらせるのに時間がかかる。
ふだんの暮らしの中では、せめて2~3日前のできごとぐらいまで
覚えていれば、こと足りる。
結婚式のような人生の大きな節目には、アルバムや日記をめくって、
自分の誕生から現在までをふりかえったりする。
もう一度起こって欲しいような楽しかったこともあるだろうし、
思い出したくもないいやなできごとも出てくるであろう。
しかし、その頃に輝いているとは思えなかったできごとが、
今にして光を発し始めるということが起こらないとは限らない。
暮らし
53 自分だけの凡例 地図を開くと、病院、学校、役所、警察といった建物が記号で表されている。
いわゆる凡例という地図の約束事である。
世界の地図に詳しい人が書いた本によると、
日本の地図には役所・警察はもちろん、税務署・郵便局など
お上の関係機関に関して、やたら細かく表記されているとか。
さて、ゴールデンウィークがスタートし、旅の計画を練ったり、
すでに旅行中の人も多いことだろう。
旅に出かける際に、凡例が載っていない白地図を用意し、
景勝地に心があらわれたり、名物に味覚をくすぐられたりした後は、
「いやし」マークとか「堪能」マークなど自分だけの凡例を書き込んでみては?
暮らし
54 待つ勇気 どんな分野にも、教え魔という人がいる。
手足の動かし方、頭の上げ下げ、目くばり、息づかい、
しまいには心がまえまで、気付いたことはとくとくと語り、
なかば強引に、その人流のやり方を伝授していく。
その熱心さは大いに結構だが、
のべつ指示が飛んできたのでは、習う側はパニックになってしまう。
インタビューアーで速射砲のように質問攻めにする人がいるが、
相手の口から本音の部分での答えはなかなか返ってこない。
うまい人は、待つ勇気を持っている。
そして、答える人の沈黙の中に言葉を読み取るのである。
教育
55 歌で人生を学ぶ 気分がいい時はもちろんだけれど、
夢破れたり、しくじってしまい落ち込んでしまった時に、
ひょいと口をついて出る歌がある。
歌の中のなにげないフレーズが心をなぐさめたり、
元気を与えてくれることもある。
現在ヒット中の『ワダツミの木』を歌っている元ちとせさんの故郷は奄美大島。
彼女は小さい頃から、ここで歌い継がれてきた島唄を歌って育った。
島唄には、”歌半学”という考え方がある。
どういうことかというと、島唄の中に人生の何たるかを語る歌詞があり、
これを唄っていると、自然と生き方の術が身に付くというわけである。
教育
56 凹凸の時間 安藤広重の絵で有名な東海道五十三次。
江戸の日本橋から京都まで歩くと、およそ14~15日かかるとか。
今は”のぞみ”に乗れば、2時間半ほどで着く。
旅を楽しむということで考えれば、
途中、富士山を眺めたり、大井川を渡ったりと
変化や感動の多い徒歩の方が、楽しみが多いのではと思ってしまう。
その変化や感動が、物理的・精神的な起伏の大きさだとすれば、
フラットな時間の流れより凹凸のある時間ほどスリルと感動に満ちている。
しかし、のぞみの中のフラットな2時間半の中で
人生を変えるような人物やイベントとの出会いが起こるかもしれない。
暮らし
57 いちばん手前に・・・ おわん、茶わん、汁わん、大皿、小皿などなど、
食器棚には、料理や用途に合わせていろんな器が並んでいる。
たしかに、カレーライスなどは絵柄が派手なものによそおうよりは、
真っ白な洋皿に盛り付けたほうが料理がひきたち、おいしく見える。
そうした食器棚に並ぶ食器の中で、
いちばん取り出しやすい位置にあるものを手にとって欲しい。
手にしっくりとなじむし、色合いやカタチが自分好みであることに気付く。
そして、和・洋・中華とどんな料理をよそおっても似合いそうに思えてくる。
食器に限らず服なんかもそうであるが、使いやすいもの
役に立つものは、おのずと自分の手元に近づいてくるものである。
暮らし
58 私する、しない? 「私的には~ですが」という言い方をする人がいる。
「私は~ですが」と直接言わないで、「的」を加えることで、
存在をあいまいにし、ちょっと引いた立場に自分を置く。
「お茶する」という名詞即動詞型の会話もよく耳にする。
ある本を読んでいたら、江戸時代の人としての基本的な価値観は、
「私しない」ことだと書いてあった。
「私しない」とはどういうことかというと、
自分が持っている財産や才能、地位、名誉などを自分のために使わず、
他人のため社会のために使うこと。
物質的に豊かになった21世紀だが、私する人がまだまだ多い。
ことば
59 双方向とは インターネットが急速に普及した要因の一つに、
インターラクティブ(双方向性)というのが挙げられる。
購入しますか、どうしますか/次の3つのうちどれを選びますか?
と画面上で意思表示を促すことで、瞬時にコミュニケーションがとれる。
では、新聞やテレビやラジオという既存のメディアには、
双方向性がないのかというと、そうではないような気がする。
例えば、暮らしのヒントを与えてくれるようなテレビ番組で、
「こうすれば、電気代がグ~ンと節約できますよ」と映像で流すと、
食い入るように見ていた人は、早速実践する。
節約効果がなければ抗議の電話が鳴るし、節約できれば感謝の声が届く。
暮らし
60 手のすごさ 人間と他の動物のちがいに、道具を使うことがあげられる。
直立歩行をするようになって、足はもっぱら移動装置となり、
手はモノに触れる、モノを持ったり操る機能をもつようになった。
軽いものはもちろんだが、力をこめると相当重いものまで持つことができる。
大きい小さい、硬い柔らかい、熱い冷たい、ツルツルかザラザラかなど、
手にしただけでモノの大きさ、重さ、材質、状態などを判断する。
時には針の穴に糸を通したり、ネジを締めたりするのもハンドパワーである。
さらには、手話のように言葉代わりになったりもする。
悲しい時に肩を抱いて、勇気を与えてくれた大きな手、
困っている人たちに、差し伸べられたあたたかい手。手には愛も宿っている。
愛情
61 とりとめのない満足 友だちや近所の方などよく知っている人との会話。
「こんにちは、お元気ですか、今日はどちらへ」
「はい、ちょっと、そこまで」
「そうですか、まあ、ボチボチいってらっしゃい。」
という具合に、お互いがニコニコしながらとりとめのない話を交わす。
出会った時に頭を下げ、顔と顔を見合わせ元気を確かめれば、
相手が今日どこへ行こうとしているのかは、たいした問題ではない。
つまり、あたりさわりのない言葉を交わすことで、十分に満足なのである。
身がまえなくていい自然体、気をつかわないふだん着の応対。
そうした関係の根っこには、信頼が横たわっている。
人間
62 ド派手な時代はくりかえす 江戸時代後期に造られた芝居小屋は二階建てで屋根があった。
ところが、江戸歌舞伎のスーパースター初代市川団十郎の頃には、
小屋に屋根がなく、土間には芝が敷きつめられていた。
その芝の上に座って見物したので芝居と言われたとか。
さて、初代市川団十郎は荒っぽい武士を演じる”荒事”で、
一躍人気を博し千両役者となったが、
荒事とは行きつくところ誇張=大胆なデフォルメであった。
目をひんむいて大見得を切り、顔には異様なくまどり。
くまどりは浮き出た血管、つまりはあふれんばかりのパワーの表現だった。
こうしたド派手な時代は、高度成長、バブル期のように周期的にやってくる。
歴史
63 心にエンジンブレーキ 車の性能が向上し、
オーバーヒートでエンストしている車を最近見かけなくなった。
操作方法もずいぶん簡単になり、オートマチック車全盛である。
ちょっとした坂道でも、Dレンジに入れたまま走ることができる。
それだけに、長い下り坂ではフットブレーキだけで制御し、
エンジンブレーキを使わないドライバーも結構多い。
人生においても、パワー全開でサクセスロードを登りつめ、
その勢いを駆って要所要所で急ブレーキを踏みながら、
一気に走りぬけようとする人がいる。
しかし、そういう時こそ、はやる心にエンジンブレーキが必要なのである。
人生訓
64 幸福マリ ソテツの深く濃い緑の葉と朱色の実ほど、
南の島の青い空とコバルトブルーの海に似合うものはない。
ソテツの実を取り除いた殻の中に小さな貝殻を入れて、
やわらかいソテツの綿毛でくるんで芯をつくる。
この芯を黒い糸でグルグルと固く巻いていき、
目にも鮮やかな赤や黄色など原色の糸で星の形や三角形など
幾何学模様の刺繍をほどこしていけば、ソテツマリのできあがりである。
ソテツマリを青い空に向かって放り投げると、
芯に詰めた小さな貝殻がカラカラとやさしい響きを奏でてくれる。
島の人たちは、”幸せを招く音”と呼んでいる。
植物
65 水がつくる マグマが地中や地表で固まってできた岩を火成岩という。
花崗岩、安山岩などがその代表である。
火によって生まれた岩に対して、水がつくった水成岩というのも存在する。
砕けた岩石の粒や生物の遺骸が、水底にたい積してできた岩で、
岩肌はきめが細かく、すべすべとなめらかである。
そうした水成岩の多い川の水は質が良く、岩につく苔の質や香りもいい。
その良質の苔を食べて育った鮎こそ絶品であるとされる。
水は地形にさからわず上から下へと自然に流れ落ち、争うことをしない。
一年で命を終える鮎の生態に思いをめぐらしていると、
老子の言う「上善水の如し」、人の生き方の深淵へと導かれていく。
人生訓
66 けむり やすらぎ 緑深い山里を訪ねると、ポツリポツリと点在する人家から
うっすらとけむりが立ち上っている。
夕飯のしたくなのか、それともお風呂をわかしているのだろうか。
煙突からゆるやかに吐き出される白っぽいけむりは、
ゆらゆら空中をさまよい、やがて夕もやかかる里山の景色の中にとけこむ。
かつては、そうしたのどかでおだやかな光景を
まちの中でも見ることができた。
しかし、効率性、安全性という観点から、えんとつは消え去っていった。
テレビアンテナやパラボラアンテナは、多彩な情報を受信することはできても
家庭のにおいや住む人の幸せやあたたかさを発信することはできない。
暮らし
67 ボスのストレス ずっと以前に、ある雑誌で読んだ話である。
多摩動物公園で飼われていたチンパンジーのボス・ジョーは、
日に日に元気がなくなり、食欲も衰えてきた。
飼育係は病気かなと思い薬を与えたが、いっこうに回復しない。
細かく観察していると、どうもジョーはボスとしての責任の重さがのしかかり、、
ストレスがたまっていることがわかった。
そこで、飼育係はウサ晴らしに一杯やれ、とウィスキー入りハチミチを出した。
毎晩コップ2杯飲むと、ジョーは熟睡し、2ヵ月後に元気をとりもどした。
この時、飼育係はウィスキー入りハチミチをただ与えたのではなく、
彼のそばでいろんな悩みを聞きながら(?)、晩酌の相手をつとめたという。
動物
68 機械と機会の関係 十数年前、キャプテンシステムなどニューメディアの登場によって、
人は居ながらにして、いろんな情報を手にいれることができると言われた。
ただ、当時はハードがそれほど普及せず、通信費の問題もあって
居ながらにして・・・というわけにはいかなかった。
また、機械の進化で人に直接会う機会が減る、
いわゆる実体験喪失についても危惧された。
居ながらにしてが、インターネットや携帯電話の発達で現実のものとなった。
忙しいからメール入れとくね、という機会の減少と、
ネット上で手に入れた情報に「これ、おもしろそう!行ってみようか」
という機会の拡大を比べたら、どちらに軍配が上がるだろうか?
人間
69 転んだら手を差し出す ベッドタウンの市営住宅でひとり暮らしのばあさんは、
朝4時に起き、4合の米を炊く。
まとめて2~3日分炊くのかなと思いきや、毎朝のことである。
炊き上がるとおひつに移し、7時頃にまず一人で一膳よそおい朝食をとる。
時計の針が10時をまわった頃から、
ばあさんの部屋へひとりまた一人とお客さんがやってくる。
いずれも近所に住んでいるひとり暮らしの老人で、食卓へ上がりこんでは
ごはんをいただき、ひとしきり世間話をして帰っていく。
年金暮らしのばあさんは、毎日他人にごはんをふるまうほど裕福ではない。
「転んだ人がおれば、手を差し伸べるじゃろうが」そう言ってからから笑う。
愛情
70 行間から情感 戦国時代には当然メールなんて便利なものはないから、
手紙はすべて筆でしたためた。
豊臣秀吉は、とても筆まめな人だったようで、
合戦の場を飛びまわりながら、愛妻”おね”へ実にまめにしたためている。
その中に、こんな文面の手紙がある。
  こちらからミカンを一桶送るけれど、侍女には三つ、
  お前は五つという具合に、みんなで分けて欲しい。
  忙しい毎日だが、どうしてもお前に手紙を出したくなって筆をとった。
忙しいさなかにミカンを送るのはまだしも、その分け方まで記す心くばり。
行間から、秀吉のおねに対する愛情の深さが伝わってくる。
愛情
71 水に響く その家は代々小鼓を打つことに秀でた家系であった。
祖父も父も名人と言われ、息子も小さい頃から稽古に励んだ。
「坊ちゃん、小鼓を打つのが、ずいぶん上達ないましたね。」
ある朝、ふだんはあまり口をきかない下女がそう言った。
小鼓のなんたるかもわからないこんな女に誉められたって・・・
といったけげんな顔で、息子は心から喜ばなかった。
しかし、なぜ今日は誉めたのだろう、そう思って下女にたずねてみた。
「私は、毎朝井戸の水汲みをします。名人と言われるあなたのお父様が
お打ちになると、井戸の水面が小鼓に合わせて揺れるのです。
今朝揺れたので、そ~っと稽古部屋をのぞいたらあなた様が・・・」
歴史
72 太陽のように 南国生まれ、情熱的で笑顔満開という感じのハイビスカスは夏の花。
といっても、南の島では一年中咲いているようである。
切り株は日光を好むので、お日様をたっぷり浴びさせてやること、
と園芸の本に書いてある。
しかし、そのぶん水不足にならないよう、乾燥した日には、
2回くらい水をやらなければならない。
灼熱の太陽のもとで思いっきり汗を流し、その後シャワーを浴び、
冷たいトロピカルドリンクを飲むようで、なんともスカッとすがすがしい。
ちなみに赤色のハイビスカスの花言葉は”新しい恋”。
ハイビスカスのように明るくほがらかであれば、いいことあるかも。
植物
73 戦い終えて 連日、サッカーワールドカップの話題でもちきりである。
4年に1度の大舞台のために、ハードなトレーニングを積んで、
もてる力や技のすべてを出し切って、世界の頂点をめざす。
90分の間に、数秒足りとも集中力を欠くことは許されない。
そして、激しい戦いを終えた後、
両チームはピッチの上でユニフォームを交換する。
もう、そこには勝者も敗者も、そして国や民族といった垣根がないかのように。
ラグビーでは、試合終了の合図をノーサイドというが、
まさに、自陣も敵陣もない。
あるのは、90分のドラマが生んだ感動と世界はひとつという一体感なのだ。
スポーツ
74 カメラの前で 「一枚撮らしてください」とカメラを向けられれば、
だれだって、少しは緊張し、おのずとかまえてしまう。
とりわけ、年配の方の中には直立不動で、
まばたきひとつせず、レンズをにらみつづける人も多い。
「ちょっと表情かたいですよ、もっとリラックスして」
と声をかけても、すぐにふだんの自然なポーズというわけにはいかない。
しかし、よく考えてみると、カメラを意識するのが自然であって、
撮影側の要求にすぐ反応し、表情やポーズを変えるのは演技に過ぎない。
ただ、おもしろいのは、自然体であろうが演技であろうが、
できあがった写真のどこかにモデルさんの人柄みたいなものまで写り込む。
人間
75 配達による救い 通信販売を利用するのが大好きな人がいる。
住んでいる家の近くにカタログに載っている商品を扱う店がないからだが、
その人はオーダーした品が自分宛に届く瞬間に無上の喜びを感じる。
自分でお金を払って買ったのではあるが、
商品を受け取る時は、だれかからのプレゼントのように思えるとか。
みずから出向いて買いに行ったのではなく、届けていただいたという
ある種の優越感みたいなものを感じるらしい。
配達することを英語でdeliverと言うが、
名詞形のdeliveranceには「救い」とか「解放」という意味がある。
なにかを届けてあげることで、救われる人がいる。
暮らし
76 庭を元気にして 苦労して子どもを育て、やっとゆとりある暮らしができるようになった矢先、
おじいちゃんが脳梗塞で倒れ、息を引きとった。
葬儀が済み、県外で暮らす子どもや孫たちが帰っていった。
長年連れ添った夫を亡くしたおばあちゃんは、
虚脱感とやりばのない悲しみに襲われる日々が続いていた。
忌明けの法要も終わったが、おばあちゃんの元気はもどってこない。
そんな時、孫から手紙が届いた。
「ぼくは、おじいちゃんが死んでとっても悲しかったけれど、
 いつもきれいだったお庭が草ぼうぼうなのがもっと悲しいです。
 おばあちゃん、お庭を元気にしてあげてください。」
人間
77 最後は勇気 ものごとを始める前に、できるだろうかできないだろうかと、
人はいろいろと思案をめぐらす。
自分が持っている能力、経験、その場のコンディションなどが
判断材料となるわけであるが、
問題は、アクションを起こす際の気持ちの持ちよう。
(どうせ、やってもだめなんだから・・・)最初から逃げ腰の人。
(どうせやるのだから・・・)と、挑戦的で意欲満々の人。
とにもかくにも、スタートラインに立った時は、もう走り出すしかない。
ユダヤの格言にこうある。
何も打つ手がない時、一つだけあるとすれば、それは勇気をもつこと。
人生訓
78 2回までは ものごとを頼んだけれど、いっこうに実行してくれる気配がない。
あまりに騒がしいので、ウルサイ!と注意をすべきかどうか。
催促や注意というものは、相手あってのことだけに、
いつ、どんなタイミングで言っていいのか、なかなかむずかしい。
一回言ってだめであれば、再度うながす。
それでも相手が反応してくれなければ、もう腹をくくるしかない。
という具合に、2回までは許容範囲と考える人が多いようである。
買物の値引き交渉は、まず店側の「これだけ勉強させてもらいます」を待つ。
提示された金額に「ここまで、なんとかなりませんか」と哀願する。
3回以上の値引きに応じた場合、お店か商品に問題あり。要注意である。
人間
79 わかったこと 刑事もののドラマで、聞き込みというシーンがよく出てくる。
犯人のアリバイや犯人と結び付くものはないかと、
事件と関わりのある人物から情報を入手していく。
捜査が長びくに連れて、聞き込みからあがってくる情報も薄くなっていく。
足を棒にしながら、手がかりになるものが何一つあがってこないと、
刑事のイライラが募り、迷宮入りになるのではと心も萎えてくる。
しかし、ものは考えようで、
手がかりが得られなかったから、捜査が停滞しているわけではない。
つまり、犯人と結びつく可能性のある一つのラインが薄くなったのである。
足を運んだぶんだけ、黒、白、灰色が捜査マップを塗りつぶしていく。
ビジネス
80 売り方の王道 三重県伊勢市の名物「赤福」はロングセラー商品である。
老舗の家訓は「三つ売るより、一つ残すな」。
ロスを徹底的になくすことこそ、確実に利益につながるという考え方である。
一つも残らないよう売り切るには、相当な努力が求められる。
どうしても売れ残ってしまいそうな場合、売り子さんが責任を感じて、
自腹を切るなんてことがないとも限らない。
その逆の経営法は「一つ売って、三つ残せ」。
商品への関心はおろか、欲しいかどうかわからない人に売るのではなく、
商品の良さがわかり、次回も必ず買ってくれそうな客だけに売る。
商品はロスしても、お客様のロスが少ないというわけである。
ビジネス
81 スタンダード化 ノコギリ、カンナ、ノミなどが大工さんの七つ道具であるならば、
聴診器はまちがいなく医者の七つ道具の一つである。
聴診器は1816年にフランスの内科医によって発明された。
ヒントになったのは、子どもたちの電話遊びの道具からだったという。
日本へ初めてもたらされたのは、32年後の1848年。
その後、携帯に便利な聴診器、両耳にかけるタイプなどが発明され、
国産の聴診器が生まれたのは1888年ごろ。
宮崎県出身の小児科医鬼束益三は、さらに改良を加えて、
「オニヅカ式聴診器」を発明し、大好評を博した。
鬼束は売出す際「国産正規聴診器」と銘打った。スタンダード化戦略である。
歴史
82 味のある風景 ごま塩をふりかけただけのにぎり飯2個にタクアン2切れ、
それを竹の皮につつんで、値段が5銭。
明治18年に東北本線宇都宮駅で売られた日本初の駅弁である。
「峠の釜めし」とか「鯛めし」と名前を聞いただけで、
弁当そのものの形や味わい、
それに弁当を売っている駅のプラットホームや周辺の風景までよみがえり、
汽車に乗っていなくても旅気分が味わえた。
汽車の旅という非日常、ご当地の弁当というふだん口にしない味わい。
そこには未知との出会いと感動をじっくり味わう
旅本来の魅力がキラキラ輝いていた。
暮らし
83 山がもがいている 小さい頃から汽車の運転手に憧れていたNさんは、その夢を果たし、
国鉄がJRに変わる直前まで働いた。
生涯の走行距離は相当なもので、
蒸気機関車、ディーゼル車、電車などいろんな車両を巧みに操った。
鉄道マニアの少年がやってくると、抱き上げて機関車に乗せてあげた。
Nさん自身も写真が好きで、暇さえあればシャッターを切り続けた。
一面花畑の中をのんびり走る列車、坂道をあえぎあえぎ登るSL・・・
アルバムを繰ると、列車の背景にこんもりとした山をとらえたものが多い。
「ローカル線がなくなったり、駅が無人化になったのも寂しいが、
 山が削られたり、荒れたりしているのはもっと寂しいな」ポツリとそう言った。
人間
84 カベになる サッカーの試合でファウルをすれば、相手チームのフリーキックとなる。
ゴールに近い場所からのフリーキックであれば壁を作ってゴールを守る。
至近距離から矢のようなスピードでシュートを放ってくるだけに、
壁になる選手たちは、まさに身を挺して自陣のゴール前に立ちはだかる。
フリーキックは、そうした状況を設定してからの
いわゆるセットプレーであるが、
実際の生活の中では、ボールがいつどこから飛んでくるかわからない。
小学生の作文に、こんなくだりがあった。
 「地しんがおこったら、ママがカベになって守ってあげる」と言ってたよ。
 でも、カベになったママは、どうなるの・・・
暮らし
85 一を聞いて 出勤前に「今日は雨」という天気予報を聞いたとする。
ほとんどの人が雨具の用意をして出かけることだろう。
雨の日の幹線道路は混むから、抜け道を通っていこうと考える人。
今日の屋外イベントは急きょ室内に変更しなくてはとすばやく手を打つ人。
「今日は雨」という一つの情報をもとに、予想を立て、行動を変える。
”風が吹けば桶屋がもうかる”式に、
一を聞いて、そこからその影響をこと細かく追いかけていき結論を出す。
思考の過程をつぶさに見ると、どこか滑稽にも思えてくる。
しかし、私たちが日常ぼんやり考えていることも、
思考の原点をたどってみると、以外と風が吹けば・・・程度のものである。
暮らし
86 小道具 落語家のことを噺家(はなしか)と呼ぶことがある。
口から発せられる言葉によって芸を披露するわけで、
語ることによって、どんどん客を話の中に引きずりこんでいき、
扇子や手ぬぐいなどの小道具をうまく使って、話に味付けをしていく。
さて、小道具といっていいのかわからないけれど、
喫茶店やレストランのテーブルには、調味料やナプキンなどがのっている。
そのテーブルに、ソーダ水なんかが運ばれてきたりすると、
  紙ナプキンには インクがにじむから 
  忘れないでって やっと書いた遠いあの日    『海を見ていた午後』
というように、小道具に過ぎないナプキンがにわかに光を放ちはじめる。
暮らし
87 オードリーの言葉 第二次世界大戦下、苦難の少女時代をおくった。
ナチスの占領下にあったオランダで地下室に隠れ住み、
レジスタンス運動にも関わったという。
戦争によってもたらされる飢餓や貧困に目をそむけず、
華やかな映画界から引退した後、
彼女はユニセフの親善大使となって平和や救済のための活動に取組んだ。
女優時代、多くのファンを魅了したチャーミングな瞳は、
深い慈しみと愛に満ち、勇気と希望を与えてくれたオードリーヘップバーン。
「年をとると、人は、自分に二つの手があることに、気がつきます
 一つの手は、自分を助けるため、もう一つは、他者をたすけるために」
人生訓
88 距離と関係 “近く””向かい””となり””そば”という、
自分が居る場所と相手が居る場所の距離をあらわすことばがある。
不安で不安でしかたがない時は、
近くよりも向かい、向かいよりもとなり、となりよりもそばに居て欲しい。
となりも、田舎では親戚みたいなつきあいをするが、
都会では隣の人と顔を合わせたことがないというのも珍しくない。
トトロという摩訶不思議な生きものは、
となりでもなく、そばでもなく、心の内にすんでいる。
こう考えると、”向かい”との関係というのは、
道一本隔てているだけなのに、近いのか遠いのかはかりがたい距離である。
人間
89 大道農家 Mさんは3年前から米の共販出荷をやめ、
消費者と向き合って販売する方法に変えた。
じかに接することで、自分の米の評価はもちろん
どんなお米が望まれているのかがわかるようになった。
こうした試みを、Mさんは「消費者の顔が見える米づくり」と呼ぶ。
生協やスーパーなどは「生産者の顔が見える・・・」という言い回しだが、
Mさんは、消費者の顔を見たいし、声を聞きたいという。
大道芸人は,集まってきた客の要望や反応を瞬時に察知しながら
拍手やお金のとれる芸を披露した。
Mさんは、大道芸人ならぬ大道農家である。
人間
90 見る前に聴け 旅の宿は港の近くにあり、
朝は漁船のエンジンの音や、魚のセリに向かう人たちの声で目がさめた。
じっと耳を澄ませていると、波の音やカモメの鳴き声、リヤカーの音も聴こえ、
耳に入ってきた音だけでまぶたの裏に情景が浮かび上がってきた。
宿のサンダルを借りて港の方へ歩き出すと、
まぶたの裏に描いた情景と現実が重なり出し、
大きな安堵感につつまれていくのは、何も旅の感傷だけではない。
イメージの時代だとかビジュアル世代だとか、
まずは視覚に訴えるのが効果的というのが現代である。
しかし”見る前に聴け、そして描け”という自然な回路も大切にしたい。
人間
91 元気をもらう 2年前に交通事故で光を失ったMさんは、
現在、白杖を使った歩行訓練に励んでいる。
自宅から近所のスーパーまで300メートルほどの道を、
ゆっくり、ゆっくり、一つひとつ確かめながら歩いていく。
もともとこの地域で生まれ育ったので、だいたいの土地鑑はあるのだが、
杖一本を頼りに300メートルの距離を歩くのは並大抵ではない。
その道は近くの小学校への通学路にもなっているので、
すれちがう小学生たちが「こんにちは」と声をかけていく。
「目が見えなくなった時はショックで、家の外に出るなんて気になれなかった。
 でも、外を歩けば、こんなにたくさんの元気をもらえますから。」とMさん。
人間
92 目立たせ方 現代はテレビやラジオなどマスメディアを使った宣伝広告が主流だが、
昔は人自体がメディアであり、広告物そのものでもあった。
明治時代には、人を雇い、派手な服装をさせ、旗を立て太鼓を打って、
市中をまわって宣伝する人たちを「広目屋」といった。
関西では、拍子木を鳴らして人を集め、
まず「東西、東西」と口上を述べたから「東西屋」。
いずれも、服装は目立つようにかなり派手だったという。
そして、大正になると服装はやや地味になりチンドン屋として練り歩いた。
さらに、戦後は地味な服装でプラカードを持つサンドウィッチマン。
時代と共に服装は地味になるが、そのぶん市民や街は派手になっていった。
歴史
93 9ヶ月と20年 「そうとも、やつは特別だ」と、
アーネスト=ヘミングウェイに小説の中で語らせた男がいた。
イタリア移民の漁師を父にもち、九人兄弟だった。
父の仕事を手伝って海に出たり、新聞売りなどで家計を助けた。
仕事の合間に波止場で野球に興じ、メジャーリーグへ。
1941年には56試合連続安打というとてつもない記録をつくった。
そして、ハリウッドの人気女優マリリン=モンローと結婚。
しかし、わずか9ヶ月で離婚。
モンローが謎の死を遂げた後、週に3回、20年にわたって赤いバラを贈った。
特別なやつの名を、ジョー=ディマジオという。
スポーツ
94 「ふろしきと間」 昔は、宅配便などがなかったので、
お中元のように贈り物の季節になると、先様へ直接出向いて届けていた。
感謝のしるしは、そうめん、スイカ、お酒など様々だが、
そうした品々をやさしくくるんでいたのがふろしきだった。
ふろしき研究会代表である森田知都子さんの『ふろしきに親しむ』という本に、
(ふろしきは、もっと早くもっと便利にと急いできた私に「間」を教えてくれた)
という一文がある。
スーパーのビニール袋は、ポイッとものをいれるだけで済む。
しかし、ふろしきは開いて、つつんで、結ばなければならない。
そうした作業の間の中に、きっと心がくるまれていくのだろう。
暮らし
95 予告なし 決められたとおりの道を行き、決められた場所を見るのでは、
安心感はあるものの、意外性に乏しくなってしまう。
視察とか研修といった類も、
往々にして何時何分にどこそこに着いて、何々を見学してと
事前にきっちりとしたルートが設定されていることが多い。
グリーンツーリズムの受け入れ農家であるSさんは、
「お客様がいついつ来るとわかっていれば、
 受け入れる側もついつい準備をし過ぎる。しかも、つくろおうとする。
 だから、本当に農村を知りたかったら、予告なしに来て」と言う。
人生という旅も決められた道より、逸脱した時にこそ得るものが多い。
暮らし
96 審判は自分 ゴルフは、いかに少ないスコアでホールアウトするかを競うスポーツで、
一つのホールに何打費やしたかはプレイヤー自身が申告する。
マスターズ生みの親ボビー=ジョーンズは、
全米オープンのミドルホールで短いパットを沈めた。
ギャラリーはもちろん同伴プレイヤーもスコアは4だと思っていたところ、
ボビーは「いや、今のホールのスコアは5です。ボールを打とうとしたら
ボールが動いた。よってペナルティの1打を加えてボギーです。」と言った。
この大会でボビーは優勝するが、後にこのことについて聞かれたとき
「私の行為を誉めるのはおかしい。つまり、私が銀行強盗をしないから
 といって、私を立派な人だと言うのと同じじゃないですか」と答えている。
スポーツ
97 シロクマ食べる? 「暑いから、シロクマ食べませんか?」という誘いに、
ほとんどの人はギョッとすることだろう。
シロクマというのは鹿児島の名物で、
かき氷にパイナップルなどのフルーツを入れ練乳を上からかけた、
なんともトロピカルで清涼感あふれる氷菓子である。
このシロクマが初めて世に出たのは、今からおよそ60年程前。
綿屋を営んでいた人が、暇な夏の時期に氷屋をはじめ、
新メニューとして登場したのがシロクマだった。
ネーミングの由来は、練乳の缶に貼ってあったシロクマのラベル。
動物園では暑がりのシロクマに氷を与えるが、人の恩返しみたいである。
98 100円ショップの原点 100円ショップというものが、いつの間にか街に根づいてしまった。
どの商品を買っても100円という手軽さからか、客の入りがいい。
100円ショップチェーンを展開している株式会社大創産業の矢野社長は、
この商売を始める前に鍋や釜など台所用品を移動販売で商っていた。
移動販売は、商いの場を毎日変えていくから、
同じ客と再度顔を合わせる確率が低い。
それだけに、商品の質を落としたり、値段もいい加減だったりするらしい。
ところが、矢野さんは子どもが学校に通っていて、場所を移動できなかった。
売り逃げができないから、いい商品をお安くという商いの基本ができた。
それが、現在隆盛を誇る100円ショップの原点である。
ビジネス
99 アイデアをカタチに 昔の映画を観ていると、車のエンジンをかけるのに、
手動式クランクという大きなパイプをぐるぐるまわしている。
これを、現在のようにキーを差し込んでまわすとかかるようにしたのは、
チャールズ・フランクリン・ケッタリングという人。
彼は後にゼネラルモータースの副社長になるのだが、
0から1を生み出すことが得意で、生涯に30ほどの発明をしている。
そうした彼の才能を見抜いたNCR社の社長は、
ケッタリングに二人のスタッフを付けた。二人は1を2にするのが得意だった。
そして、この三人組は、次々と新しいものを創り、カタチにしていった。
アイデアはカタチになった時、はじめて評価の対象になる。
ビジネス
100 1分間の自己紹介 ある集まりにやって来た人たちがみんな初対面だと、
「では、順番に自己紹介をお願いします」ということで、
だいたい名前、住所、職業、趣味などを語ることが多い。
おもしろいもので、最初の人の紹介パターンが引き継がれていく。
作家の野坂昭如さんだったと記憶しているが、
あるライブのステージで、司会者から「1分間で自己紹介を」と促され、
野坂氏はマイクの前に立つと、ひと言も発さず黙りこくった。
30秒くらい沈黙が続くと、客席がざわつき始めた。
あと5秒で1分という頃に野坂さんは「1分という時間で自分を語るには、
あまりにも短く、沈黙を続けるにはあまりに長過ぎる」とニヒルに語った。
暮らし

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